Ray Moriya's Journal

Today is the first day of the rest of your life

人に頼るコストをいかに下げるか

人に頼るコストは心理的に高い。多くの場合
人に頼る心理的コスト > 人に支払う金銭的コスト
になるので、多少高くても、お金を払うことで関係性を貨幣空間の中で終わらせることを望む人が多い。
つまり気を揉むコストよりも金銭的コストのほうが低いのだ。インターネット上に溢れるママ友のお悩み記事や投稿の大半は友情空間に存在する心理的コストの高さを裏付けていると言ってもよいだろう。

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多くのビジネスは貨幣経済を導入することで解決してきた。
ホテル宿泊に比べて、知人宅に無料で泊めてもらうのは気まずい。だから貨幣経済を導入したAirbnbは無料の助け合いのCouchsurfingにくらべてスケールした。
ベビーシッターマッチングのキッズラインに対して、子育てシェアのアズママの利用が伸び悩んでいる(ように見える)のは同じ理由だと推測される。
貨幣空間の関係性は友情空間の関係性に比べて心理的にただただ楽だ。あれこれ悩む必要がない。

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愛情空間に存在する、妻の実の両親に育児援助を頼む心理的コストは低い。だから実家が近ければ妻の両親に頼る。
友情空間に存在する、旦那の両親に頼む心理的コストは上がる。場合によっては、貨幣空間よりも高い。
保育園で知り合ったママ友に頼む心理的コストはもっと高い。それが面と向かったやりとりになるとさらに高くなる。

人に頼る心理的コスト > 人に支払う金銭的コスト
この不等式を逆転させるUXは何なんだろうか。
人に頼ることを簡単にするサービス。最近の僕はずっとそれを考えている。

2つの人材不足の形態

少子高齢化が進むにつれて、業界によっては人材不足が著しい。
例えば僕がいたような外資系、テック系の業界だと
-英語がわかる人材がいない
-ソフトウェア開発ができる人材がいない
などとよく言わている。

これは確かに納得感がある。歴史的に英語の必要性が薄かった日本では英語話者が圧倒的に少ないし、製造業の成功体験から抜け出せなかった日本ではソフトウェア開発者が育っていない。結果的にアメリカ、インド、中国に比べて日本では英語がわかりITリテラシーが高い層が絶対的に不足しているのは事実だ。

その一方で、納得できない人材不足の業界もある。
例えば、タクシー業界。運転ができ、お客さんを目的地まで運べる人材はいるのにも関わらず人材不足と言われている。
例えば、育児・保育業界。自分の育児経験を活用して、周りの子どもの世話をできる人はたくさんいるのに人材不足と言われている。

メディアでは上記業界の人材不足は、重労働の割に低賃金であることが問題だからなどと言われているが、本質的な問題は国家の規制にあるのだと思う。
なぜならば需要を満たすための供給が国家の規制によって制限されているからだ。

育児経験のある女性たちは、再就職先が見つからなくて悩んでいる。
育児中の女性たちは頼れる育児経験者が周りにいなくて悩んでいる。

育児経験者は自分の育児経験に市場価値があるとは思っていない。
僕は育児経験に市場価値を与え、システムで可視化し、マッチング・交換できるプラットフォームを創りたい。安心・安全はテクノロジーで担保する。

それは僕が目指す、多様で、ぬくもりがあって、お互いを尊重しあえる社会へとつながっていく。

インテンティブデザインが(ほぼ)全て

スタートアップは資金的に制約があるので開発以外の多くのタスクを創業者が行うということはよくある。
実際うちのチームもそうなっている。本来ならば僕も開発に加わりたいところだが、その他のタスクが多すぎてそれを行っていると1日が終わってしまうというのが現実だ。最近はもっぱらUXデザインに時間を費やしているが、UXデザインを行うにあたって重要な点は2つあるという結論に至った。

1) 直観的なUIデザイン
2) ユーザーの行動を促すインセンティブデザイン

日本企業、とりわけ大企業は上記2つを設計することが非常に苦手な印象だ。
スペック上の機能の開発には執着するが、そもそもその機能が使いやすいか、そしてその機能にどうやってアクセスしてもらうかの視点がかけている。
ITの導入が遅れており、かつ需要に対して供給の不足が著しい育児業界では、その重要性は一層高まる。ユーザーを動かすためのインセンティブデザインは直感的なUIよりも重要なはずだ。

多くのユーザーは創業者や会社のビジョンやミッションステートメントなんて知らないし、知る必要もない。使いやすいから使う、気持ちが良いから使う、自分にメリットがあるから使う。それだけだ。GoogleにしてもAmazonにしてもUberにしてもアメリカの会社はここがうまい。日本は根性と精神論で乗り切ろうとしてしまう。

1)どのようにして直観的に使ってもらうか。
2)供給が集まりにくい産業構造の中でどのように供給を集めるか。

これらを意識してUXをデザインすること、それはいたずらに高度な機能を追い求めるよりも大切だと感じる、今日この頃だ。

スタートアップカテゴリ追加

このBlogの目的は誰かに何かを伝えたいというよりは、自分の日々の生活を記録することを一番の目的としている。個人的備忘録が誰かのためになればよいなーぐらいのノリだ。
特に語学・プログラミング学習や、トライアスロン・マラソン、そして事業を自ら創っていくことになると、日々の記録を管理し、見直し、アクションを取っていくことが非常に重要になる。なぜならば上記は基本的に自ら好き好んでやっているので、上司に報告する義務もなければ、他の緊急案件に追いやられてしまったりする。7つの習慣で言うところの第二象限の「価値」というやつだ。

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コンサルティングファームで案件を受注しながら空いた時間で事業の立ち上げを行っている現在の状況だと、クライアントがいてマイルストーンがあるコンサル案件にくらべて、自分で開発中の事業の進捗がわかりずらいという状況に陥りがちだ。

これを打開するための1つの施策として、自分の事業立ち上げのためのブログカテゴリー「スタートアップ」を設けた。週1回以上のペースでは更新していこう。

英語は英米の発音を模範にすべき

脳科学者の茂木健一郎さんが1月10日、オフィシャルブログで「ネイティブの発音といっても、どれですか」という記事をアップしている。

https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8405957.html

そういう考え方があることは否定しないけれども、僕はこの考え方には反対だ。
彼はアメリカとイギリスの発音に違いがあることを例に出し、ネイティブの発音ですら違いがあるのだから、ネイティブ発音を定義するのが無理だと主張する。

困ったことに、ネイティヴの発音といっても一つではなく、たとえばぼくが一番慣れている英語のオックスブリッジの発音は、英国内ではすべてではなくて、ロンドンの下町訛り(いわゆるコックニー)もネイティヴである。

彼が上げているのはアメリカとイギリスの英語だ。それらはどちらもネイティブ英語に含まれる。
スペルを例にとれば、色をアメリカ英語ではcolor、イギリス英語ではcolourでつづる。じゃあ日本語英語のカラーならばスペルはcaraaでいいじゃないか、ネイティブですら違うんだから、とは言えないだろう。いや、言ったとして誰も認めてくれないだろう。結局英米の英語がデファクトスタンダードとなっている以上、彼らの使う英語に近づけるほうが賢明だ。ネイティブ英語内での違いと、ネイティブ英語と非ネイティブ英語間での違いは同列には比較できない。

なまっているとかそういうことは気にせずにコミュニケーションのツールと割り切るのが最適な戦略のように思われる。

結局は多様性で、正しい発音があるとか、それ以外はダメだというのは、基本ダサい考え方だと思う。

程度の問題だと思う。例えば日本人からすると難しいイギリス人の英語も多くのアメリカ人は聞き取って問題なく普通に会話をしている。逆もしかり。しかし、残念ながら日本人の英語はコミュニケーションのツールとしても支障が出るほどになまっている。僕自身も発音が問題で理解してもらえなかったことは数えきれないぐらいある。その状況に出くわしたときに、「僕の英語を理解してくれないなんてダサい」とは到底思えない。マジョリティが理解できる英語発音に近づけるほうが賢明だ。

「たとえばぼくが一番慣れている英語のオックスブリッジの発音」と言うからには、茂木さん自身がオックスブリッジのPoshな発音をされているのであれば説得力もある。しかし、彼の英語はとても早口なカタカナ英語だ。

自分の日本語英語をビビッて発信できないのはもったいない。その主張は理解できる。けれども「ネイティブですら差があるのだから、俺らだって差があっていいだろう。」という主張で結局理解されない英語を話し、不利益を被るのは日本人英語話者だ。
英語の発音は可能な限り英米に近づける努力はしつつも、大人になってからは限界があるので割り切る、ぐらいのバランスがちょうどいいのではないか。

ママの友達と友達がママ

ママの友達 (ママ友) と 友達が(偶然)ママ。
この隔たりは大きい。

ママの友達は、子供を媒介としたママのつながりだ。友達というより知り合い。
友達がママは、気の合う友達が偶然にもママだったということ。例えば高校の友人がママになったなど。

俗にいうママ友は前者の子供を通じたママの友達を指す。ただ信頼関係を構築するためには、友達がママというように主従関係を逆転せねばならない。

テクノロジーがこれを可能にするというのが今時点での僕の仮説だ。

挫折とは優雅で甘美な称号である

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「趣味は挫折です。」
このような発言を合コンの場でしたら女性には惹かれるだろう。ただ僕は挫折は優雅で甘美な称号だと思っている。なぜならば僕は挫折とは下記のとおりだと考えているからだ。

挫折 = (理想 - 現状) x 挑戦

つまり理想もなく現状に満足している人間は挫折はしない。それは現状維持の人間だからだ。
また挑戦をしない人間も挫折はしない。それは口先だけの夢想家だからだ。

挫折とは、理想を持って現状に甘んじることなく挑戦したものだけに与えらえる優雅で甘美な称号なのだ。

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学部時代TOEIC350点だった当時の僕は卒業時にTOEICで900以上とれるなんて思ってもみなかった。
ソフトウェア開発者だった当時の僕は戦略系コンサルティングファームに入れるなんて思ってもみなかった。
純ジャパで大した経歴もない当時の僕はオックスフォードでMBAがとれるなんて思ってもみなかった。

僕は2019年の抱負を多くの挫折をすると決めた。
高い理想を持ち、多くの挑戦からの挫折を経験することで、気づいたら現状が数年前の理想に追いついていたりする。僕はこの魔法の法則をずっと身をもって体験してきた。

理想を持って挑戦し、挫折を経験してきたからこそ今の自分がいる。
僕は夢を持っている。それはあまりにも壮大で滑稽だと人々に笑われるかもしれない。ただ僕はこの魔法の法則を知っている。

今日からまた挫折をしよう。それは優雅で甘美な称号なのだ。

プログラミング再び

大企業を辞めてスタートアップを始めると自分でやらなくてはいけないことが一気に増える。
それは自己の知的好奇心を満たすためや、自己の成長のためには非常に役立つ一方、記録しておかないと自分の進捗が見えてこない。またアウトプットとして記録することは自分へのモチベーション向上にもつながる。テクノロジー関連の記事はまだ何も書いていなかったので、今後はこのカテゴリーに記事を更新していくことを1つの進捗確認としたい。

僕は一応国立大学の理系修士課程を修了しているが、ビジネス系職種歴やプロジェクト管理歴が長かったこともあり、プログラミング能力には長けていない。週末にPHPRubyを触る程度だ。その主な原因は才能に起因するものというよりも、費やした時間によるものが大きいと思っている。
たとえば僕はエクセルが得意だ。しかし、コンサルに入るまでは基本的な関数すらしらなかった。エクセルを多用するDue Diligenceのプロジェクトでは評価がUnder expectationだった。それが毎日、上司に詰められながら、週末深夜まで作業することで劇的に得意になった。僕はプログラミングにはここまの時間を費やしてはいない。

今日はDeployGateでiOSAndroidを配布できるようにした。明日は実際に自分でiOSをビルドしてDeployできるようにしたい。どんなアプリでも実機で使えると愛着が倍増する。1万時間の法則のように費やす時間を増やしていこう。

戦後レジームからの脱却 保育編

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戦後レジームからの脱却

僕が現在仲間と開発中のママ支援·育児アプリで掲げる3つの柱は下記だ。

  1. 戦後レジームからの脱却
  2. 貨幣経済に変わる交易システムの提供
  3. 育児プラットフォームの確立

今回は1. 戦後レジームからの脱却について書こう。戦後レジームという言葉はWikipediaでは下記のように説明されている。

現代の日本戦後レジームの意味するところは主に、第二次世界大戦での日本の降伏後、GHQによる占領下で出来上がった日本国憲法を始めとする憲法法令、テレビや新聞などのマスコミ、経済や金融では通貨発行権や通貨管理権の所在を意味する言葉として使われている。

Wikipedia

日本は戦後GHQ占領下において様々な法令を作り上げた。その1つに保育士資格に関する児童福祉法がある。

保育所は、日日保護者の委託を受けて、その乳児 又は幼児を保育することを目的とする施設とする」。 このように、保育所児童福祉施設の 1 つとして位 置づけがなされ、その目的が明文化された。 保母の定義は、1948 年 3 月、「児童福祉法施行令」 第 13 条によって、「児童福祉施設において、児童の保 育に従事する女子」⁴ と規定された。つまり、保母は 法的根拠をもつ資格としてはじめて制度化されたので ある。保母資格を取得するための方法が、1948 年に定義と 同じく「児童福祉法施行令」第 13 条で規定された。⁶ 「1.主務大臣の指定する保母を養成する学校その他 の施設を卒業した者、2.保母試験に合格した者」であ る。すなわち、保母資格を取得するためには、2 つの 方法が設けられた。1 つは、保母養成施設を卒業する こと。もう 1 つは、保母試験に合格するという方法で ある。この 2 つの方法は、現在もなお継続されている。

戦後保育士養成のあゆみ(1)

戦後3年目にして保育士資格の元となる保母資格が制定された。1948年は当たり前だが、スマホはなければインターネットもPCもない。女性は家事育児することが一般的であり、乳幼児の死亡率も今よりも100倍あった時代だ。これだけ時代背景が変わり、テクノロジーが進展したにも関わらず未だに保育産業でのオペレーション手法や資格制度に関しては大きく変化しないまま、保育士資格を金科玉条のように取り扱っている。

僕は保育士資格を取得した人はプロとしての敬意は払いたい。その一方で保育士資格にこだわるがゆえに供給量が抑制され、保育サービスにアクセスできない人が多くいるとすればそれは本末転倒でしかないと感じている。

僕はテクノロジーとビジネス・オペレーション戦略で日本の育児·保育事情をアップデートしたい。それには先輩ママ·パパや現役ママ·パパの育児経験や知見の活用が鍵となるはずだ。

君は何のために働くのか

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君は何のために働くのか

中高からの友人5人と新年会を行った。1年に1度のペースで会う仲間。20年以上も知り合いなので気の置けない仲間たちだ。

話題は昔話や子供の話が中心となる中で、僕は今開発しているプロトを見せながら作りたい世界観と今春にはリリースしたいサービスについて熱く語った。コンサルティングファームに働く友人は興味深く聞いてくれ「面白い、頑張れ」と応援してくれた。その他の友人の反応は聞いてくれはするが、つれないものだった。これは僕のビジョンやビジネスに関心がないというよりは、大企業や公務員組織という環境に身を置いているために、このような話に対する免疫がないからではないかと思った。4回転職をし、大企業を辞めてスタートアップ立ち上げの選択肢をした僕は理解不能な存在のようだったのかもしれない。

僕は高2、3の理系クラスが一緒で大学生になってからも仲良かった友人に問いかけた。
「転職とかは考えてないの?」

彼の答えは
「ないね。今の会社は楽なわりに給与がいいからね。」

その考え方を否定することはできない。最低限のインプット(努力)でアウトプット(給与)を最大化することは、個人の生産性を最大化していることを意味する。ただそれは僕の信じる価値観とは大きく異なる。仲が良かった中高時代の友人とのずれに若干の寂しさを覚えながら、ビールを飲み干した。

帰り道、1か月前に忘年会を共にした最も仲の良い友人の言葉をふと思い出した。医者を辞めて役所に入った彼は、自分の仕事についてこう言った。
「僕は毎日ワクワクしている。自分の目の前に仕事があるということは、まだ誰も解決していない問題が目の前にあるということ。これらの問題の解決に従事できるなんて、こんなにエキサイティングなことは他にはない。」

僕は彼のこの発言を聞いたときに魂が震えた。

同じ時間を費やすのであれば、僕は世界をよくするために働きたい。未知なる問題の解決のために自分の人生を使いたい。お金はあくまでも結果であり目的ではない。

やっぱり僕は世界を変えたいと思った。