Ray Moriya's Journal

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英語は英米の発音を模範にすべき

脳科学者の茂木健一郎さんが1月10日、オフィシャルブログで「ネイティブの発音といっても、どれですか」という記事をアップしている。

https://lineblog.me/mogikenichiro/archives/8405957.html

そういう考え方があることは否定しないけれども、僕はこの考え方には反対だ。
彼はアメリカとイギリスの発音に違いがあることを例に出し、ネイティブの発音ですら違いがあるのだから、ネイティブ発音を定義するのが無理だと主張する。

困ったことに、ネイティヴの発音といっても一つではなく、たとえばぼくが一番慣れている英語のオックスブリッジの発音は、英国内ではすべてではなくて、ロンドンの下町訛り(いわゆるコックニー)もネイティヴである。

彼が上げているのはアメリカとイギリスの英語だ。それらはどちらもネイティブ英語に含まれる。
スペルを例にとれば、色をアメリカ英語ではcolor、イギリス英語ではcolourでつづる。じゃあ日本語英語のカラーならばスペルはcaraaでいいじゃないか、ネイティブですら違うんだから、とは言えないだろう。いや、言ったとして誰も認めてくれないだろう。結局英米の英語がデファクトスタンダードとなっている以上、彼らの使う英語に近づけるほうが賢明だ。ネイティブ英語内での違いと、ネイティブ英語と非ネイティブ英語間での違いは同列には比較できない。

なまっているとかそういうことは気にせずにコミュニケーションのツールと割り切るのが最適な戦略のように思われる。

結局は多様性で、正しい発音があるとか、それ以外はダメだというのは、基本ダサい考え方だと思う。

程度の問題だと思う。例えば日本人からすると難しいイギリス人の英語も多くのアメリカ人は聞き取って問題なく普通に会話をしている。逆もしかり。しかし、残念ながら日本人の英語はコミュニケーションのツールとしても支障が出るほどになまっている。僕自身も発音が問題で理解してもらえなかったことは数えきれないぐらいある。その状況に出くわしたときに、「僕の英語を理解してくれないなんてダサい」とは到底思えない。マジョリティが理解できる英語発音に近づけるほうが賢明だ。

「たとえばぼくが一番慣れている英語のオックスブリッジの発音」と言うからには、茂木さん自身がオックスブリッジのPoshな発音をされているのであれば説得力もある。しかし、彼の英語はとても早口なカタカナ英語だ。

自分の日本語英語をビビッて発信できないのはもったいない。その主張は理解できる。けれども「ネイティブですら差があるのだから、俺らだって差があっていいだろう。」という主張で結局理解されない英語を話し、不利益を被るのは日本人英語話者だ。
英語の発音は可能な限り英米に近づける努力はしつつも、大人になってからは限界があるので割り切る、ぐらいのバランスがちょうどいいのではないか。